お山歩日記2001「燕岳(つばくろだけ)〜トホホ三昧編」
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最近つくづく思うのは、俺って物好き?ってことだ。
事の起こりはこうだ・・・・
今年の夏山のプランは7月に八ヶ岳、9月に剣岳という予定だった。
しかし剣岳をリクエストしたノリヒコが仕事の都合で土日以外に休みが取れず、
2泊3日を必要とする剣岳を断念。
1泊2日で行ける山をということで北アルプスで槍穂高に次いで人気の燕岳になった。
調べてみると北アルプス入門コ−スでファミリーや学校登山向の山とある。
しかもトホホ隊メンバーのカホとカヨコが不参加のため
交通費を安くする、運転を楽にするという目先の欲に負けてメンバー募集をした。
真っ先に浮かんだのが予てより山小屋に泊りたいと言っていたアルプス初参加のカエコさん。
そして、お盆の飲み会でドサクサにまぎれて誘ったズブの素人のユリコ。
後で聞くとエツコ&ユリコのコンビは大雨を呼ぶらしい。
かくしてトホホな山旅が始まった。
今年の夏は猛暑が続き、雨が無かったのに8月の末から怪しくなりだした。
週刊天気予報でも予定の日は雨と出て、メンバー構成を恨んだが、奇跡的に回復し決行。
名古屋在住のユリコを除いて、夜9時出発。
今や神がかりとなった伊勢自動車道御在所SAのうどんタイム。
2年ほど前から肉うどんの肉がバラ肉から赤み肉に変わってしまい、硬く、まずくなった。
そこで、私は最近カレーうどんにしているのだが、夜の11時ということもあり
理津子は伊勢うどんを選択。食券を買い待つこと数分。
ドーンと出てまいりました伊勢うどん定食ライス付き。よく読んで買えよ!
お陰で私のカレーうどんはカレーライスに変身した。
パンパンの腹を抱えながらリスタート。
名古屋高速東名阪を勝川で下りて東名春日井インター手前の喫茶店でユリコをピックアップの予定だった。
しかし、ペーパー・ドライバーにはよくあることだが、地図上の目標物は実際とは違い見失うことが多い。
悪いことに深夜12時、しかも事故渋滞で遅れたために、
喫茶店の看板の前に長い間座り込んだ彼女は看板の一部となり気付くことなく通り過ぎていた。
深夜の春日井市をウロウロ、幸先の良い事だこと。
なんとか中央高速に乗り入れたが、
大雨コンビの片割れにも、やはりうどんを食わすべきだということで駒ケ岳SAへ。
時間はAM2時。ソバ好きを自称すれども、山菜うどんを選択。
これで大丈夫と車は一路長野へひた走る。
長野自動車道の梓川SAでノリヒコと待ち合わせ。
10時に「今仕事終わった」と電話があり、我々が3時半に梓川に着いた時には彼はすぐ傍の諏訪SAで爆睡中。
我々も4時半の待ち合わせまでしばし仮眠を取る。
無事ノリヒコと合流し、豊科インターで高速を降り糸魚街道を白馬方面に北上。
JR大糸線の有明駅の手前で穂高温泉郷方面に左折。
予定していた地図上のコンビニがなく焦りまくり、ようやく発見したコンビニで食料をゲット。
穂高温泉郷から登山口の中房温泉まで20k。急に道幅が狭くなり中房川の断崖を縫うようにして走る。
崖崩れ注意の看板がやたら多く、車一台がやっとの道幅に、崩れても避けようが無いよなと思いつつ
対向車が来ないかハラハラもののドライブは続く。
山道も半ば過ぎた頃、突然ユリコが「10年ぶりに酔った。」と言い出す。ゲゲゲ・・・
「吐くー!」ゲロゲロ・・・喉に山菜が引っかかっていたそうな。
まぁ車中にスッパイ匂いが充満することもなかったのでよしとするか。
いわく、「関取のように右側を下にして寝ればよかった。」ほんとかよ。
日の出と共に中房渓谷に到着。リツコとユリコのお陰か天気は上々。
木々の葉に霜が付き吐く息は白い。
気温は10度。さすがに短パンと半袖では寒い。寒さに震えながら用意を急ぐ。
朝メシを頬張り、いざ出発!肩にザックがくい込むが前回に較べれば楽勝だ。
無料駐車場(ありがたやありがたや)から舗装された道を合戦橋まで15分程あるくといよいよ登山口。
燕岳は北アルプスの女王と呼ばれ、もっとも短時間で山頂に立てる山のひとつだ。
ここで簡単に山の説明をしよう。山を木に例えると、切り株があるとすると幹が頂上である。
地下の幹に直接繋がっている根が尾根。尾根には枝分かれした支尾根が繋がる。
尾根と尾根の間が谷となり、そこに水が流れれば沢となる。
そして、富士山みたいな特殊な単独峰は別として大抵の山はいくつかのピークが連なり連峰とか山脈と呼ばれる。
そのピークを結ぶ線が稜線で、稜線上のピークを幾つも越える登山が縦走という。
燕岳は常念山脈の北にあり槍ヶ岳に至る縦走路は通称表銀座。
ちなみに上高地は常念山脈南端の霞沢岳と穂高連峰南端焼岳の間の谷だ。
話が逸れたが、短時間で登れるのは燕岳に直接つながる合戦尾根にいきなり取り付くからで
当然急登。燕山荘のホームページでは日本三大急登と書いてあった。
コースタイムは4時間。が、これがクセモノであくまでも歩く時間の平均にすぎず、
しかも休憩時間はこれに入ってないので休めば休むほど時間がかかる。
4時間というのでなめられては困るので、一応日本三大急登とビビらして気合を入れいざ出発!
登山口(1450)から燕岳(2763)まで標高差約1300m。
登山口の脇にある売店裏手の広葉樹林の中へ入るといきなり急坂。
傾斜自体は這うほどのものではないのだが、息を整える緩やかな道がなく一本調子に葛折の急坂。
人間呼吸が辛いと無口になるので小鳥のさえずりと荒い息継ぎ、静かな登山だ。
徹夜明けの体には出だしの子この急騰は辛い。いきなり、エライ、カイダリ、シンドイを連発する。
息も絶え絶えで30分程歩くと、唐松の林に変わり緩やかな尾根上の道になる。
合戦尾根 | 燕岳 |
しばらくすると第一ベンチと呼ばれる休憩所に出た。
実はこの登山道は急登とはいえ、道自体は道幅も広くよく整備され、道が滑らないので歩き易い。
それに30分歩くごとに休憩所が作ってある至れり尽せりの登山道なのだ。
ようやく寒さからくる指先の痺れも取れ、服も半袖一枚に。
ガイドブックに最後の水場とあるので道から少しく下って様子を見に行くと、熊笹の林の窪みにチョロチョロと水が湧き出ている。
湧き水には違いないが、水を汲むと一緒に泥まで入りそうで、とても飲む勇気なし。
休憩後、さらに急なジグザグの坂道は続き、1時間もしないうちから
「今どれぐらい?後どれぐらい?」 知りません!
第2ベンチでリツコと私は短パンになり、痩せ尾根の少し緩やか道を行き(ちょっと下ればもったいないと文句を言われ)
さらに第三ベンチからは暗い針葉樹林帯の中、息も絶え絶えになりつつ一歩づつ体を押し上げる。
それでも時折広がる視界には、麓の山並みや見上げる常念山脈が美しく映える。
前回と実態は変わらんがなと思いつつ、子供をなだめる様に励まし続けると
それでも高度は上がり、富士見ベンチに到着。
読んで字の如く晴れれば富士山が見えるらしい。よく眼を凝らして見れば雲間に微かに映る富士山発見!
「ほらごらん、私達は晴れ女よ!」とエツコとユリコの小鼻が膨らむ。
サングラスを押し上げて、詳しく見ようと双眼鏡を覗く。八ヶ岳でも少し場所を移動すれば出会えたらしいが
いつ会ったか忘れるぐらいの久しい富士山だ。何処から見ても富士山は富士山の形を崩さない偉大な山だ。
しかし富士山を見ると得した気分になるのは何故だろう。
ふと気付くと頭が軽い。何気なく下を見ればエツコの足元に無残な私のサングラス。ご愁傷様・・・・
太陽が眩しいのは誰のせい?エツコ曰く、「石踏んだと思った。」ふぅー
別に私が悪い訳ではないのだけれど、文句たらたら言われ、ようやく合戦小屋に至る。
驚くほど赤く色づいたナナカマドが私達を迎えてくれる。
合戦小屋の名物は自称日本一の波田町下原のスイカ。
一切れ8分の1で800円。即ち一個6400円。少なくとも値段は日本一だ。
食うか食わぬか迷った挙句、燕山荘でもあるよと主張していた私はふと日見よって
一切れを3等分にして二切れ購入。塩少々振りかけてかぶりつく。美味い!今年一番を捧げる。
都会では味わえないアンモニア臭つきのボットントイレの洗礼を受け驚くユリコ。この位はまだ序の口なんだが・・・
来た事を後悔しているのが顔に書いてあるカエコさんとユリコ。
合戦小屋という名の休憩所に別れを告げ,苦行再開。
登山道の木々がダテカンバやナナカマドに変わり、紫色した七分咲きのリンドウが目を楽しませる。
左手に大天井(おてんしょう)岳が見え隠れする相も変わらない急坂でノリヒコに異常あり。
ウーという唸り声。どうやら足が攣ったようだ。
後で聞いた話では、まず左足のふくらはぎが攣り、左足を庇っていたら右足の太ももにきて
次に左足の太ももまでも攣りだしたらしい。悲惨
ちなみに「ふくらはぎと太ももではどちらが痛いか」との質問には即、太ももと答えた。そうらしい・・・
なんでも歩きながらいろいろ試したらしいが、休み休み歩くのがこんな時の正しい対処の仕方だそうだ。
攣っては休み攣っては休みでようやく合戦の頭(2489)にたどり着く。
両足を簡易テーピングと固形サロンパスでとりあえず治療。
ノリヒコ曰く、仕事疲れ。それより直前の休みに伊豆にダイビングに行くのは無茶だと思うんだが。
ふと見ると、山なみの上に槍の穂先が出ているではないか。
しばし見とれていると、アレレ、ガスが・・・槍が消える・・・
下界から見れば山に雲がかかっている状態なのだが、これがクセモノで下は晴れていても山では視界なし。
なんだか天気の様子が怪しくなりだした。あと1時間なのに・・・・
道は楽になれども、しだいに濃くなるガス。
崩れた斜面に無理やり付けた下丸見えの階段を登ると、今夜の宿燕山荘が霧の中に浮かんでは消える。
見えれば近い。そう言ってもビキナーは信じない。指差しても一瞬でまた霧。
でも道が楽だと会話が弾む。回りを見る余裕も出来るようになる。
森林限界を越え高い樹木が無くなった登山道にはハイマツの間に高山植物。
木苺に似た赤い実があり、食べられるかどうかとことになり、言い出しっぺのカエコさんが恐る恐る口に。
ぺッと吐き出し、「渋い!ダメだわ。」
次に発見したのはサクランボが2つつながったような赤い小さな実。再びカエコさん。
OKサインにリツコと私も口へ。確かに甘いが、妙にエグイのでとりあえず吐き出す。それに習うみんな。
後に山小屋で調べたら、最初のはベニバナイチゴで食べられるのだが、
後のはオオヒョウタンボクといい有毒。なんとまぁ。吐いてよかった。
皆さん、路地の成物をいやしく口に入れないようにしましょう。見た目美味しそうな物は特に!
そうこうする内に、眼前に紛れもなき山小屋の姿が現れた。
相変わらずのガスの中、最後の坂を登りきり、稜線に立つと、
いきなり青い山肌の裏銀座の山並みが目に飛び込む。目を転ずると天空にその穂先を突き差す槍ヶ岳。
誰が見ても槍としか表現出来ない猛々しいフォルム。圧倒的な神々しい男性的な美しさだ。
そして麓に霧のベールを掛け、緑と白のコントラストが美しい北アルプスの女王燕岳。
鳥肌がたち感動に震える。急いでみんなを呼ぶ。
次々に湧き上がる感動詞。「なしたんど!こや!」
次第に冷静さを取戻していた私は隣の人の笑い顔を見て、和具弁を大声で叫ぶメンバーから距離を取り
他人のふりして、消えないうちにと山なみを写真に残す。静かに感動しましょう、恥ずかしいから・・・
今回も頑張った人への山の神様からの贈り物は素晴らしかった。
かくして5時間の登り終了。
常念山脈 | 眼鏡石 |
山小屋にチェツクインして荷物を置き、身軽になって燕岳に向かう。
ノリヒコは相変わらず足が利かないのでお留守番。
燕の山頂は花崗岩の岩塊を積み重ね白い砂礫とハイマツの緑がコントラストを織り成す自然の芸術だ。
巨大な花崗岩の間をぬって滑りやすい斜面を30分も歩くと頂上(2762m)だ。
途中眼鏡石と呼ばれる高さ5m位の花崗岩塊がありその穴から覗くと槍穂高が見える。
我々と前後して犬連れの4人のパーティがいてその中に少し離れてビデオ撮影している人がいた。
ウォークマンみたいな物で音楽を流しながらブツブツ言っているので何をしているのかと思っていたら、
テンションが高くなり思いっきり入れ込んで「さよなら!燕岳よ〜!」とBGM付きで演じているではないか。
ここにもいたか、周りが見えない奴。
そしてもう一人。その隣で大声の和具弁で携帯電話するエツコ。
「今、頂上よ。凄いんよ!わかる?」トホホ・・分からないよ普通・・・
そのオッさん後でビデオ見て驚くだろう強烈な雑音に。
残念ながら北燕以上の遠景はなく、後は明日に残して山小屋に帰還する。
山頂からの急な下り、悲鳴と共に鈍いズドンという音。振りかえると見事な尻餅姿のユリコ。
しばらくするとまた、ズルって音。オイオイ。
その降りの歩き方を観察していると、妙に誰かに似ている。
そうだ。腰が引け広げた両手前方に突き出したその格好は伝説のヨシエさんそのものだ。
ユリコに訊ねるとやはり下りは怖いらしい。同じだ。
息子のノリヒコ以上にその遺伝子を受け継ぐ者がいた。
おめでとう!ユリコ。ヨシエ2世の襲名だ。みんなで笑いと拍手で祝う。
襲名を嫌がるユリコにエツコがフォローのつもりか、
「わたしはユキコさんと同じで、登りは弱いけれど降りは得意よ!」と言うと、
「エッちゃんは重心が低いから降りが安定するんやわ!」
それって、足が短いってことかい?当たってるけど・・・
山小屋に戻り2時に少し遅いラーメンタイム。その後は祝杯。
この燕山荘は最高級の山小屋だ。経営者が前向きなので快適な一夜となる。
まず、トイレが臭くない。電車のトイレみたいな簡易水洗なのだ。
次に山小屋は綺麗で喫茶室もあり生ビールが飲める。
食事も美味しい。メニューを紹介しよう。
夕食・・・酢豚、サクサク白身フライ、キャベツの千切り、大皿で高野豆腐と山くらげの漬物。
御飯に味噌汁、そして御替り自由のデザートはスイカ。(3回御替りした)
朝食・・・卵焼き、シャケ、明太子、里芋の煮付け、しめじの佃煮、大皿で白菜漬けと梅干
御飯に味噌汁、デザートはオレンジゼリー
日本一のスイカと夕食 | 朝食 |
完璧は何処の世にも存在しないので、今回問題なのは料金システムだ。
個室が幾つかあって訊ねてみたところ、一人プラス5000円だ。
一部屋の間違いじゃないかと、ノリヒコはしつこく詰め寄るが、当然変わりようもない。
穂高山荘でも一部屋プラス10000円だったのに、一泊二食の基本料金が8700円だから13700円となり、
ホテル並ではないか!諦めて大部屋にする。それでも法彦の圧力に屈したか6人用の大部屋?を用意される。
山小屋の構造は規模によって様々だけど基本的には省スペースで寝なければならない。
収容人数からすると小ささに驚く。今回は600人。
我々が泊ったのは本館二階。通路を挟んで二段構造(一層高さ1・5m)の寝床が作られている。
それぞれが(上下は同じだが)4人とか6人とかに区切られている
各区分にはちゃんとカーテンがあるのでプライバシーは守られ大部屋という感覚はない。
畳4帖分の板の間に4枚の敷布団と6組の寝袋。頭を窓側に並べて(半分は棚の下)眠る。
寝袋はここの売り物のひとつで中綿にプレサーモという汗などの水分を熱に換える軽くて薄い新素材を採用している。
確かに暖かいのだが薄いのでクッション性に欠け、長く寝ると背中痛し。
我々は二階(上)なので「干」の字の梁に垂直に取り付けられた梯子を昇り降りするのだが
開口部が低いので鴨居が邪魔になる。山小屋に低く響く鐘の音、ゴ〜ン。
いい音させたのはノリヒコ。その後続け様に3回。これほど学習しない男も珍しい。
おまけに夜中にも鐘の音。もっとも本人は覚えてないみたいだ・・・・
燕山荘は稜線上にあるので、日の入り、日の出が山小屋から見える。
しかし、私の二日遅れの誕生日祝いをノリヒコ(君だけだ、ありがとう)に
無理やり大ジョッキの生ビールを奢らしている内に、すっかり外はガス。白の世界。
何処にでも酒飲みはいるもので、いつもは外で景色なんぞを見つつ、他の登山者と情報交換したりするのだが
ガスっては仕方ないので、持参のバーボンで一人酒盛り。夕食までに出来上がり、おやすみなさい。
目を覚ますと、窓の外の闇が赤みを帯びていた。
身支度を済ませ、外に出る。寒い。ベンチのテーブルの表面が氷づいている。
御来光 | 朝焼けの燕岳 |
墨絵の世界に朱色が拡がり出し、次第にその赤は黄金に変化する。
浅間山の隣から出現したその圧倒的な光に思わず手を合わす。
澄んだ空気の中に浮かび上がる朝焼けの山並みは言葉では表現出来ない紺と青と赤と黄金の絵画。
特に複雑に入り組む槍穂高を中心としたこの北アルプスの景色は壮絶。
何でも最初が肝心だけど、特に山登りの最初に見る景色によってその人の登山人生が決定するといっても過言ではない。
今回のビギナーはラッキーだ!これで山にとり付かれる。
山の朝は大抵景色がよい、が時間を追うごとに靄ってくるので9時ごろまでが勝負?だ。
祈り | 朝焼けの槍ヶ岳 |
朝食後テラスでミル挽きのコーヒー(500円)を飲み、7時前に出発。今日は北燕を越え中房温泉に戻る。
十分に休息を取り昨日が嘘の様に回復したノリヒコが先行してスタート。
我々は、燕岳山頂直下をトラバースしてノリヒコと合流。
燕岳と北燕岳の緩やかな稜線上は高山植物の女王コマクサの群生地で有名だ。
残念ながら、訪れるのが半月遅かったようだ。僅かに残り、肩寄せ合うように咲く薄ピンクの花には哀愁が漂う。
我がパーティの女性軍にはお似合いかも。色々解釈はあろうが、時期ハズレ、盛りを過ぎた、散りかけ、ets・・・
ちなみに平均年齢は・・・・・恐ろしくて書けない。
再び花崗岩の岩塊をよじ登ると燕から15分程で北燕岳山頂に着く。
山頂からの北側の景色は見事だ。立山とそれに連なる剣岳の鋭いギザギザの岩峰が美しく、私を呼んでいる様だ。
東には白馬連峰、特に鹿島槍ヶ岳の双耳峰は見事。
北燕岳 | 餓鬼岳 |
山頂から先は切り立った岩が並んでいるので迂回しなければならないのだが、
リツコが先にルートがあるというので様子を見に行けば、
岩塊を二つ越えると急に落ち込みとてもじゃないが鎖でもなきゃ無理。危ない危ない。
死にたくないので引き返し最後尾から下山すると、隊列が岩の途中で止まっているではないか。
よく見れば、ユリコが仰向けに寝て足をバタバタしている。
急な岩場の基本は3点確保、すなわち手足4本の内三本で体を安定させあとの一つを移動させ徐々に進んで行くのだが、
仰向き、俯きどちらの場合でも体を岩から離さないと視界が得られない。
特に降りは怖いからといってユリコの様に体を岩に押し付けていると、体が邪魔をして足元が見えない。
「足、何処に置けばいいの?」と足を左右に動かす。足に目は無いんだけど・・・
結局下にいたエツコが足の置き場を誘導してあげ事無きを得たが、近くにいた他の登山者と共に爆笑の渦が巻き起こった。
ちなみに、後続は片手を添えただけで降りられた。さすがヨシエ2世!そっくりだ。
岩場を迂回する草深い道を下って再び登れば、東沢岳に続く緩やかな砂礫の道に出る。
東沢岳や餓鬼岳を見ながらしばらく登ると、東沢乗り越え。ここから稜線からのお別れだ。
下りに備えて靴紐をきつく締め直す。あれ?靴が変だ。
靴底のエッジがボロボロ。呆然と眺めている私に、「それは、これだ!」と
ノリヒコがザックから一枚の紙を取り出した。
なになに、靴底のポリウレタンは5年をめどに劣化するので注意!それによる事故多発だと。
症例の写真つきパンフレットである。なんでこんな物持っているんだ君は?靴屋の営業か!
とりあえず今回は持ちそうなので、気を取り直し壊れた木の階段を下りる。さぁ下山。
稜線直下は緩やかな傾斜のお花畑で、高山植物が目を楽しませてくれるが、
それからは急なジグザグの下りだ。
下りは心肺に負担をかけないので、しばらくは楽に思え皆調子に乗る。
南斜面のため草深く、しかも濡れていて道幅は狭い。そして下るにしたがい植相は熊笹に変化する。
もっとも滑りやすいシチュエーションで、当然主役はヨシエ2世である。
ところでこの妻の従姉妹の特徴は一言でいえば、よく喋る、だ。
機関銃のように喋り捲っていたと思ったら、キャァ、という声と共に笹の中に姿が消える。
しかし懲りない奴は一族の伝統か、またマシンガントークの後に尻餅。
お尻に同情したくなる。可哀想なカヨコのズボン・・・
急降下の連続、やっと沢に出てひと安心。清らかな水に周囲の大丈夫?の声も聞かず、手を伸ばす。
やれやれと思えば、再び急降下。
コマクサ | 北燕岳直下の岩 |
二度目の沢に出た時には、ユリコの足は止まると震えていた。
よく膝が笑うと言うが、それを通り越すとどうやら太腿全体が笑うみたいだ。
美味しい水という看板があり、一同我先に清流のお世話になる。
ここで、コーヒータイム。水が美味いとまた格別。手持ちの豆は全て消費。
ただし、ゴミは持ち帰りが山屋の常識なのでザックに括り付けたのはいいが、この後コーヒーアロマと長く友達となる。
しばらくは、沢歩きの快適な道だ。こんな雰囲気もいいよね、と安心したのがいけなかった。
北燕沢出会いを過ぎ、幾つかの沢が集まり中房川となっていた。
山の川には砂防ダムが付き物で川が一気に2−30m落ちたりする。
そうなると川沿いの河原を歩くのは不可能で、迂回して尾根を越えなければならない。
せっかく下りたのに再び登り、また急な下り。その繰り返し。
三度目の沢に出た頃には、カエコさんまで膝の関節が痛み出した。
簡易テーピングとダブルストックの助けをかりて、騙し騙し進む。
実は、登りよりも下りのほうが大変なのだ。筋肉痛になるのは下り。けがするのもそうだ。
トレーニングして足の筋肉が鍛え上げられていればいいのだが、筋力がないと関節にしわ寄せが来る。
関節の痛みは休むしかないのだが、休んでいたら何時まで経っても山から下りられない。
各個の体調と時間の経過と残された距離、それら全てのスケルージュは隊長の責任となる。
なにより、今日は下山後6時間かけて帰宅しなかればならない。時に非情になる。
この中房川の谷はなかなか強敵で懐深し。行けども行けども終わりは見えず。
しかし、物事には終わりがあるので山小屋から5時間半、下り始めて4時間半も経つと
ようやく「お疲れ様」と書かれた看板がある木のつり橋に。
そう高さはないが、一度に2人しか通れない山らしい風情のある木橋だ。揺れるが・・・
もう終わりかと思えば、カエコさんの「ダマされたダマされた」と恨み節を聞きながらの後30分の歩きが待っていた。
とうとう、終点を示す看板を発見。
一同、バンザイ!お疲れ様。大したケガも無く、登山終了である。
吊橋 | 下山後 |
駐車場に戻り、遅い昼食。今回ノリヒコは前回の青に引き続き赤いタイカレーだ。
珍しいのでみんなで試食。ココナッツと香料とその辛さに非難轟々。
「うまいのに・・・」と呟きながら黙々と食べるノリヒコ。
さて、後はお楽しみタイムだ。有明荘にて入浴。600円と温泉なのにリーズナブルだ。
洗い場が少ないのを除けば露天風呂は広いしいい温泉だった。
水とお茶はサービスだか当然湯上りはビールだ。飲みながらふと見ると、
当宿の水は沢の水の為、お飲みの場合はコップ半分にして下さい。と書いてある。
ウソーッ、ここに来るまでもう1リットルは飲んでいる・・・どうしましょう?
かくして、トホホな山旅は終わりを告げ、無事帰還。
今回の教訓。「物の準備より、まず体の準備!」
道具を揃えるのも大事だけど、体は簡単には作れません。必ず自分に返ってくるので鍛えましょう。
企画立案、道具揃え、運転、最後に配信と色々やる割にはあり難がれ無いのは,ひとえに不徳の致すところだ。
やはり、相当の物好きらしい・・・。
では、様々な話題を提供してくれた登場人物に感謝して、再見!
志摩お山歩倶楽部 竹内敏夫